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1983に尾仲浩二が、生れ故郷を訪れ撮影した直方の街と、1980に藤田進が撮影した六本木の黒人ディスコ
共に「イメージショップ CAMP」で発表された80年代の日本の光景
1983直方・北九州
アワダチソウと煙突のある街

尾仲浩二

定価1500円+税

並製/B5変型判/本文1色 80頁
2008年10月10日発行
ISBN 978-4-903141-08-4

メモリアグラフィカno.5
1980六本木ソウル
・エンバシー
港区六本木黒人ディスコ界隈

藤田進

定価1500円+税

並製/B5変型判/本文1色 80頁
2008年10月10日発行
ISBN 978-4-903141-09-1

メモリアグラフィカno.6
八幡製鉄所が千葉県君津町に新しい工場を造り、北九州からの民族大移動が始まった。
(中略)ホームのあちこちで涙の見送りが行われ、「星影のワルツ」の合唱を耳に残
して列車は関門トンネルへと向かっていった。」(本文より)
かつて、石炭で煤けた街ともいわれた直方。バブルに浮かれる東京から幼児期を過ご
した街へ。そこには1968年に離れた時と同じ風景が待っていた。
この街はいつから時がとまっているのだろう。「背高泡立ち草・序章』
「ミラーボールとブラックライトとタバコの煙のフロアーは黒人と彼らの
ことが大好きな女たちで溢れていた。生まれて初めて目と耳でエクスタシー
を感じた。」(本文より)
ディスコ全盛期のスノッブな街、六本木。その喧噪から少しはずれた小さな
ビルの中にあったディスコ、「エンバシー」。そこに集う米軍の黒人たちと
女たち。80年当時の六本木の街、人々の姿

制作・編集・発行 グラフィカ編集室/ 表紙デザイン 東泉一郎
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直方は空襲を受けなかったので、古い街と家屋が多く残っている。明治時代に建て
られた木造平屋の駅を出るとロータリーには削岩機を持つ炭坑夫の像が出迎えていた
(現在は遠賀川の中洲へ移されてしまった)左に国鉄(現・JR)、右には西鉄
(西日本鉄道)のバスターミナルがあり、長いアーケード商店街が、それぞれ明治町、
須崎町、古町、殿町とつながっている。
駅前の須崎公園には林芙美子「放浪記」の一節「わたしは古里を持たない、旅がわた
しの古里であった」の碑が建つ。その放浪記の中「直方の町は明けても暮れても煤け
て暗い空であった。砂で漉した鉄分の多い水で舌がよれるような町であった。」とあ
るように、大きな機関庫のあった直方駅には、かつて筑豊各地で掘り出した石炭を若
松や八幡製鉄所に運ぶため、たくさんの蒸気機関車が煙をあげていた。その機関庫の
すぐ裏に尾仲家はあり、1960年そこで僕は生まれた。土門拳の写真集「筑豊のこども
たち」が世に出た年だ。(本文より)
この店にいる黒人たちは、激しい感情を露わにすることもなく、むしろとても
シャイな感じを漂わせているように見えた。言葉数も多くなく、静かに飲んで
いるだけの人もいた。そんなところも自分に似ているようで彼らを好きになった。
僕は彼らをみな米兵だと思っていたけれど少し違う事情も有ったのかもしれない。
ただ店の中に在る空気から、彼らが気持ちよく遊んでいる事は僕にもすぐわかっ
たし、この店は彼らブラザーの店だった。
女の子達は日焼けしている子もいたけれど、黒めのファンデーションを塗ってい
た。その理由を聞いてみた事はなかったけど、ブラザーに愛されるためにそうし
ているように見えた。なんだかブラザーをとてもうらやましく思った。フロアが
しっとりした音楽に変わる。ミラーボールだけの光の中での熱い抱擁。女の娘達
をこんなに陶酔させてしまうチークを羨望と嫉妬の混ざり合った気持ちで見つめ
ながら僕は撮り続けた。
何度かこの店を訪れて、フロアを見続けているうちにこの店の中には独特のリズ
ムが在ると思った。他の店では見た事のない踊り方。流れる音楽のリズムの後ろ
にゆっくりと合わせながら乗ってくるように見える身体の動き。僕が見た事がな
いだけで、ちょっとイカしてる店ではあたりまえだったのかもしれないけれど。
いつも見ているだけで踊れない僕でさえ痺れてしまった。(本文より)