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サタデーナイトフィーバ−の年、1978年の二冊。バブル前夜、山形の農村と東京のゲイタウン!
中居裕恭の新宿ゲイはイメージショップCAMPにて当時発表された。
1978庄内平野
山形県東田川郡余目、米作りの町

丹野清志

定価1800円+税

並製/B5変型判/本文4色 80頁
2008年9月6日発行
ISBN 978-4-903141-06-0
1978新宿ゲイ
新宿二丁目+歌舞伎町

中居裕恭

定価1800円+税

並製/B5変型判/本文4色 80頁
2008年9月6日発行
ISBN 978-4-903141-07-7
「昔はつくれつくれって言って、今はつくるなと言うんだからヘンだのぉ」
高度成長期を経てグローバリズムに向かい始めた時代の日本の米作の中心地。
減反、農地の集約、現在に続く農業の矛盾は景色の内側で、農家の暮らしに
変革を求める。また、田園都市という幻想が語られていた時代でもあった。
「お客は銀行員と不動産屋ばかりでネ。ボトルが入っていても、ボトル、
ボトルって万札ばんばん入ってきたワヨ。みんな使っちゃったけどネ。」
30年前、毎日がお祭りのようだった新宿二丁目、ゲイたちの晴れ姿。

制作・編集・発行 グラフィカ編集室/ 表紙デザイン 東泉一郎
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1964年に余目町を訪ねた民族学者の宮本常一は「村々は屋敷林にかこまれて、
ちょうど島のように散らばっている」(朝日ジャーナル・1964.12)と書いて
いるのだが、水田から眺める一つ一つの集落はまさにいくつもの"島"なので
あった。広大な田んぼがひろがる平野に 68もの集落が点在するのだから、
最初はただ島から島を歩き回ってみるだけだった。人びととの出合いは
跡(あと)集落の共同田植えの場から始まった。その後農業青年たちの集まり
があると出かけていって農業、農村問題について語り合ったりあちこちの集落
の祭りの場や酒飲みの場に参加したりすることが続いてどうにか人びとの生活
の場の隅に身を置けるようになったのだった。主に青年たちとよく話をした。
米作農業の最先端の場にいるということもあって、青年たちには勢いがあり、
暗さはみじんもなかった。
「天下の庄内米ということにあぐらをかいていていいのか」「百姓なら米だけ
でなく野菜も自給すべきではないか」「自分で作ったコメを自分で売るような
しくみを作るべきではないか」などと語っていた。(本文より)
新宿二丁目に、初めて足を踏み入れたのは1977年の暮れ十二月、小雨の降る
寒い明け方に、カメラをぶら下げてウロウロほっつき歩いていた歌舞伎町で
声を掛けてきたオカマと知り合ってからだ。義理があって顔を出さなければ
ならない店があるからこれから付き合ってくれと言う。たちの悪いキャッチ
だと思って知らんふりしていたが、何となく、そうでもなさそうだったので
興味深々にノコノコくっ付いて行った。店の名前はおぼえていないが頭を短
く刈り込んだお兄さんが3、4人いて客の相手をしている。祭りみたいにフン
ドシのひともいる。開店何周年だかのパーティだそうだ。和服姿やドレスで
着飾った女装のひとが入れ替り立ち替わり店に入ってくる。外はすでに明る
くなっているのでドアが開くたびに朝日が入りこみ、剥げかかった白粉と
うっすらヒゲの生えてきた顔が暴露される。店のお兄さんが僕のカメラを見
つけて記念に写真を撮ってくれという。酔っぱらった女装の客たちが私も私
もと寄ってくる。しばらくして写真を持って行ったらサントリーオールド
ダルマのボトルをタダで飲ませてくれた。「焼きウドン食べる? 今度クリ
スマスパーティがあるし忘年会もある。時々顔だしなさいよ。」
僕の新宿二丁目デビュー、始まり始まりである。(本文より)